仕事あるかな? と旅先で思う
外国に限らないのだが、旅で普段と違う場所を移動するとき、徒歩、バス、電車、飛行機でもいいんだけど、そんなときに「ああ、ここに住めるかな。仕事、あるかな」と考えてしまうのだ。言葉や習俗を良く知らないのに、そんな勝手なことを考えて、マジな顔で家人に話したりするから「ど~ぞ、ひとりでやってください」と笑われてしまう。
たとえば宿も決めずにウェールズを一週間ほどほっつき歩いたとき、クリックハウエルなんて「ド」のつく田舎( 当時はそうだったんだと思う )の街(=村!)を川に向かって坂下っているときとか、そのあとのパブリック・フット・パスを歩いているときとか、スズキのバイク販売店がどうしたわけかよく目につく田舎道を走るバスで人なつこい感じの老婦人のふたり組みと何だか気持ちが通じ合えたような気がしたときとか( 気のせいかもしれない )、そんな瞬間に、「仕事あるかな」と考えてしまう。
「あの、ベア・ホテルだけどさ、フロントのPC、WindosNTだったじゃん? 青画面が出まくって困るって、あのバアチャン、たぶんあれ、女主人だと思うけど、云ってたじゃん。ああいうの、宿泊管理システムとか作り直してあげたらサ、感謝されるかな……」「なにバカいってんの」
たとえば、トランジットのシャルル・ド・ゴール空港でエスタ・テのオレンジジュースを飲んでいるとき、まだ明るい外の道を白いフランス車がカーブを切っていったりするのを眺めながら、「仕事、あるかな」と考えてしまう。映画『パリ空港の人々』みたく、勝手に住みついたら、やっぱヤバイよな、とか考えている。
昔は“ホームページ”なんてもんが普及していなくて、ウェールズの情報をネットで集めようとしても断片的にしか手に入らないし、Googleなんて生まれたばかりで、いまのように自宅にいながらにして外国を疑似体験できるなんて便利な環境もなかった。でも、実際に外国の街角に立ってみると、ああ、ここで生きていけるかも、と思えたのだ。たぶん、現在はそんな感覚への敷居がもっともっと低くなっているんだろう。
どこででも食っていけるかも。
若い人は、少しでも「あ、オレ、外国でやってけるかも」と思ったら、さっさと試してみるのがいい。うまくいかなかったら、さっさと帰ってくればいいんだし。結婚したり子どもができたりするとアレコレ面倒になっちゃうから。まぁ、いっそのこと家族連れで外国で暮らしてもいいか、と思うんだけど。いまの日本を見てると、そんな気分になる。
◇ ◇
ああ、でも失敗して帰ってきても、日本に居場所がなくなっちゃってるんだろうなぁ。だから、最初から保守的にならざるを得ないのかなぁ。その辺にもセーフティ・ネットが欲しいよなぁ。思い切り飛べないじゃん。こんなんじゃ、若い人の脚力が、食ってくための足腰が、どんどんひ弱になっちゃうんじゃないだろうか。
国がやらないなら、自治体がやってみればいいんだよ。友好姉妹都市提携なんて大義名分を、こういうときに活用してもいいんじゃないかな。留学や観光だけじゃなくてサ。「失敗してもイイから、どーんと胸借りてこいよぉー!」って、若い人を外国に送り出すようなプログラム、どこかでやっているんだろうか。
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