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2004年12月

正月飾り締め切り日

また新しい日々が
 昨日の雪が日陰に残る今日は,大晦日の前日.正月飾りの締め切り日.
 
 何とか大掃除をやっつけて,広く床の見えるようになったダイニングは,すっきりとして心地好い.正月を迎える準備ができた.我が家では家人手製の正月飾りを玄関扉に掛け,近所のスーパーで買ってきた輪飾りはキッチンと納戸にそれぞれ掛けることにする.
 
 毎年一夜飾りだったのが,今年はマイナス1日のゆとりでこぎつけた.ひと安心である.正しくは28日までに飾るらしいが,ま,一夜飾りにならなかったのでヨシとしたい.
 
 このところ苦しかった胸も午後遅くに治まって,こちらもひと安心.あまりにも汚い部屋を見かねて歳の神様がお怒りになったが,取り敢えずの努力でお許しが出たのか,はたまた…….
 
 この年末年始は元日が土曜日なので,ありがた味の薄い年始になってしまったが,ま,仕方がない.三が日明け4日からは再び通常業務で,つまりは,何事も無かったかのようにして2004年13月が始まるわけだ( 哀しいね ).
 
 まだ掃除や片付けが終わっていない人もたくさんいるだろうし,もう諦めてしまった人もいるだろう.帰省ラッシュ真っ只中の人も.
 
 どちらさまも取り敢えず,お疲れ様でした.
 ちょっと早いけど,よいお年をお迎えください.
 それから年末年始,ご無事にお過ごしください.
 

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冬眠図書館御用達

平年より4日早い東京の初雪
 体の調子が悪くて,歩くのもつらいけど,どうしても出かけなくてはならなくて――と,息切れしながら宵の口の銀座を歩いて,用事を済ませて,三越前で待ち合わせしていた家人と一緒に松屋銀座に入った.
 
 お腹が空いたり血糖値が下がったり体を冷やしたり寝不足だったり精神ストレスがかかると,覿面(てきめん),体調が悪くなる.心臓がきちんと動いてくれなくなるので,結果,酸欠になってしまう.困ったもんだ.
 
 こんな調子だから外で食べる気がしなくて,でもコロッケを食べたい.ということで地階で惣菜を物色.朝のパンも.
 
 このときは家人が「少しだけ何か温かいものを食べたほうがいい」と云うので, Soup Stock TOKYO があったので「ここで食べよう」と連れられて入った.普通だったら,こんな小洒落たイート・インには入らないのだが,家人が一緒だったら……と.
 
 体を温めるメニュー.酸辛湯(さんらーたん)にした.
 
 悪くない.いや,悪くない,じゃなくて,いい.うまかった.熱くて美味しい酸辛湯をぼそぼそと食べながら,隣席の女性ふたり連れが「村上春樹が……」とか「宮部みゆきが……」と話しているのを聞きながら,家人と黙りこくってスープを食べていた.でも,悪い雰囲気ではない.店の内装デザインは流行りのカフェ風で,働いているお嬢さんたちもそんな感じで,中年男が一人で入るには勇気が要る店ではあるが,こういう雰囲気,悪くない.
 
 おすすめです.
 
 食べたあとも体調は相変わらず悪かったが,少し楽になったような気がする.店を出てから隣の浅野屋で朝食パンを,並びのアールエフワンでカニクリームコロッケを買って帰った.
 
 帰り道の銀座一丁目駅で地下鉄を待ちながら,そうか,クラフトエヴィング商會の「冬眠図書館」で出すようなシチューは,きっとああいう温かさなんだろう,と考えていた.『じつは、わたくしこういうものです』の「シチュー当番」はお気に入りの一篇.

 帰宅して食べたパンとコロッケも美味しかったです.
 

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破綻した部屋を救うには

青空
 「破綻からの脱却には、破綻した現実にとらわれずに、まず理想形を描いてみる」( プログラマの「本懐」~アーキテクトという選択 山本啓二 日経BP出版センター )
 
 この言葉がズシンときた.
 
 何か,もうワケわからん状態になっていて,もうこんなもん捨ててしまいたい,こんな状況から逃げ出して,どこか電気の来ていない照明は石油ランプだけの秘湯に逃げてしまいたい――と自暴自棄になりたいときに,でも,しかし,なんとしてもこの混乱というか,ごちゃごちゃになってしまったものを,放り出さずに,なんとか,なんとしても,自分が,まさに自分自身こそがまとめ直さねばならない,という時がある.
 
 そういうとき,往々にして諦めムードになってタラタラと後始末だけに終始したり,嫌な気分を引きずって,とにかく傷口に絆創膏を貼るだけで満足しようとしたり,つまりは対症療法だけで済ませてしまおうとする.
 
 だが,それでは同じことが再び起こる.何とかは忘れた頃に……というやつ.そしてまたもや,「あ~,そういえば昔,こんなことやったよなぁ~.オレ達成長してねぇな~」と云っては,ほろにがく薄ら笑いを浮かべていたりするのだ.
 
 何が必要なのか.必要なのは,根治治療するための元気なのだと思う.では,その元気をどうやって引き出すのか.
 
 理想形を描いてみる――これが肝心なんだと思う.
 
 現実を見つめるのは大切だけれども,それだけでは元気が沸いてこない.現実を見つめたら,次にはすかさず理想像を描くのが必要なんだ.いったん現実を離れて,自分が望む姿を具体的に描いてみる.すると,理想形と現実との間にあるギャップが一種の緊張関係を生み出す.「なんだよ,なんでこーなってんだよ.オレが望むのはこんなんじゃないんだよ」という緊張状態が元気を生み出すんだろう.
 
 これ,実は経営者が企業の使命やビジョンを描くのと同じ要領なんだね.自分を小さな会社だと想定して,自分自身がその会社の社長だとすると,会社をうまく経営して利益を生み出す=自分を成長させる,そのためにはどうすればいいのか,どうやって会社=自分を導けばいいのか,どうやって勤労意欲を刺激すればいいのか,ということ.
 
 さて,破綻した部屋の大掃除,いよいよ着手です.まず出来上がり状態をイメージしてみようか.
 

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大掃除

空中線
 職場で大掃除をした.
 
 明日は納会なので今日しかない,ということで,午後も遅くの時間に職場の全員,といっても十名ほどで事務机を動かしての掃除である.
 
 いやホントに,机の裏側は驚くほどの配線の塊り.あとから継ぎ足し継ぎ足しでパソコンや周辺機器を接続しているものだから,スパゲッティではなくて,まるで巨大な毛玉のようにコードが絡まっていた.机の向こう側に張り渡された LANケーブルの上に,電源ケーブルが太いの細いの白いの黒いの,様々に載って塊りを作っていた.
 
 このようなケーブルの塊りはネズミの巣になりやすいから,ほぐさねばならない.最近は,食べ物を放置しない,机の引き出しにしまうときは金属缶に収納する――など,まるで子供のしつけのようだが,基本的なルールを守るようにしているのでネズミ被害は減っている.だが用心するに越したことはない.かつては,「ぎゃぁっ,いまっ,そこの床の上,ネズミ,走った!」とか「LANケーブルをかじられて島まるごとネットワークから落ちた」とか様々な被害があった.
 
 それにしても色々なものが溜め込まれている.既に退社した人の私物が箱で出てくる,6年前の雑誌が出てくる,使わなくなって久しいSCSIケーブルの束が出てくる…….
 
 ただでさえ地価の高い東京なのに,なんという無駄だろう.場所をふさぐだけではなく,不用品が放置されている環境状態は社員の意欲を殺ぐマイナスの財産だ.捨てるかどうか迷ったら,ソレは捨てたがいい.「いまはわからないが,とっておいたら何かの役に立つかもしれない」というのも捨てるべし.
 
 心を鬼にしてゴミの山を作っていったところ,なんと,使う必要のない電源タップが10個近く出てきた.実は使っていなかったケーブルなどとあわせると,不要コード類だけで段ボール箱2箱分になってしまった.本当に無駄! 
 
 さて,ようやく大掃除を終えて,スタッフみんなが気持ち好く新年を迎えられそうである.やはり大掃除をして正解であった.Photoshopがパッケージで丸ごと出てきたりして,なかなかの収穫物もあったし.報告書を書いて今日の業務は終了.
 
 ……自宅の大掃除もこんな具合にできるといいのだが,なにぶん自分の持ち物となると,会社でのように英断を振るえない.困ったもんだ.明日の納会のあとは家人に叱られながらの大掃除である.
 
 自宅前にゴミ回収のトラックを呼んで,「ここからここまで,全部捨てて!」と云えたら気持ちいいだろうな.
 

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災年サル

空
 来週末はいよいよ来年.災いはこれを最後に終わってもらいたいもんだ.
 
 新潟中越地震で不通になっていた上越新幹線だが,復旧工事が終わり試験走行が始まっている.明後日には開通するらしい.新潟では被災者全てが避難所を引き払い,何とか屋根の下に入ることができたようだ.今年は暖冬で雪の降り始めが遅かったのが幸いしている部分もあるだろう.
 
 このところ天災・人災織り交ぜて,また私的には公私取り混ぜて,なかなかに大変な一年であった.年の初めから親が入院したり,手術をしたり,4匹の飼い猫が立て続けに死んでしまうわ,仕事の知り合いが酔っ払って事故死するわ,またまた親が入院して手術するわ,年末に親戚が病気で急死するわ…….
 
 先日のニュースで「今年を表す漢字」ということで「災」が選ばれたと報じられていた.
 
 相変わらずイラクをはじめとして中東はきな臭いままだし,米軍の駐留は続きそうだし,来年は増税だと云っているし,いよいよ私は介護保険料を払い始めなくてはならないし…….
 
 あなたの今年はどんな一年だっただろうか.私の場合,まるで自分を中心にして災いが次々に起きているように感じられる一年であった.が,気づいたことが一つある.
 
 私自身に直接関係する「災」は起きていないのだ.これは果たしていいことなのか,それとも悪いことなのか.このまま何事もなく「災いの年」が過ぎてくれるなら,そして世の中が明るくなってくれるなら,どんなにか素晴らしいことだろう.
 
 災年が終わろうとしているこの期に及んで,スマトラで地震が起き,津波の被害が届き始めている.死者の数は増加する一方だ.そういえばこのところ,新潟中越地震以降の日本国内で小さめの地震がポコポコと起きている.時あたかも満月を明日に控え,どことなく不吉な感じがしないでもない.
 
 いよいよ私自身に災いが降りかかろうとしているのか,それともこれで終わるのか,いずれにせよ,先ずはじっくりと考える姿勢だけは崩したくないと思う.
 
 今年は申年だ.災いが去る年であってもらいたい.
 
 

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やはりヒーローは不滅なのだ

新宿のNTTタワー
 ヒーローの世代というのがある.
 
 これは極私的な見方で,私にとってのヒーロー達というと15年先を行く先輩達だ.たとえば山下達郎,村上春樹などが相当する.
 
 彼らがバリバリ活躍していた頃,こちらはちょうど中学~高校生で,いわゆる「憧れの的」「目指すべきゴール」と云えるかもしれない.こちらが大学にいた頃,ちょうど彼らは30代半ばを疾走していたのだと思う.まさにこちらが世界を見渡し始めて,世の中を自分の物差しで測り始めた頃に,視野の中心,遥か前方をゆく彼らが輝いて見えていたのだ.
 
 あれから既に20年が経過し,われらがヒーロー達は相変わらず活躍しているようだが,こちらはこちらで彼らが「ヒーロー」だった歳をとうに過ぎてしまっている.そして若い世代,かつての自分が通り過ぎてきた年代を見ると,自分がすっかり老いてしまったような気分になる.
 
 心の中はいつまでも1979年なのに,でも,確実に,後ろからやってきた若い世代に押し出されるように,おじさん世代に入っているのだ.
 
 先日,極私的なヒーローが急逝した.55歳とはあまりにも早過ぎる死であった.
 
 残された子供達は成人しているが,かつての自分が通り過ぎてきた20代前半という時間の流れで父親を失った.そして彼らから見ると,いまの自分がちょうど「ヒーローの世代」に相当するのだ,と気づいた.
 
 彼ら子供達が私のことをヒーローと見るかどうかはどうでもいいのだが,しかし,少なくとも私自身は,もし何かのはずみでヒーローとなってしまったときに,ヒーローとしての背中を,彼らの世代に自信をもって見せることができるのだろうか.
 
 当分の間,誰も私をヒーローと見てはくれないだろうが,けれども自分だけは,ひそかに,ちょっと,突っ張って生きてみたい――と思った.
 
 わがヒーローの死に哀悼の意を表する.安らかに眠れ.
 
 

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月刊ランティエ創刊

テレビの中の月
 角川春樹事務所から『ランティエ』という雑誌が創刊された.
 
 朝の電車で,ふと目を上げると『ランティエ』の吊り広告に気がついた.面白そうなので昼休みに買ってみた.
 
 「ランティエ」とは高等遊民のことだそうで,これはそもそも漱石が提案したのだと思っていたが,ま,いいか.「高等遊民」ではなく「ランティエ」という言葉をどこかで聞いたような気がしたが,思い出した.澁澤龍彦の『イタリアの夢魔』が角川春樹事務所のランティエ叢書から出ている.この一冊を読んだのだった.
 
 雑誌を眺めて最初に感じたのは「この読者ターゲットは何歳だろう?」だった.多分,団塊の世代から新人類世代に向かって10年というところか.世知辛いいま,果たして世俗を脱することに成功している中年以降はどれほど存在するのか疑問だが,姿勢と方向性は認めたいと思う.
 
 だが,女性を扱ったのはいけない.これは間違っている.女性を扱うなら生身の女性ではなく,既に死んでしまって伝説になっているとか,絵画などの芸術に描かれた女性でなければならない.そうでなければ,不良は単なる不良である.ガラが悪いだけだ.
 
 “知的”を標榜するのであれば,とにかく想像力を駆使した美を最初に追い求めるべきだろう.生身の女性は一番最後で構わない.生身の女性は世俗すれすれのところで回遊しているのだから.
 
 たとえば,ラファエロの描く聖母の持つあどけなさと色っぽさと,日本独特の稚児文化についての関連性について10回に渡って連載する――とか,そういう美を追ってもらいたいもんだと思う.こういう美は,走るために生まれてきた車の美に通じるし,できれば最新鋭戦闘機の流線型の美へと敷衍してもらいたいもんだ.
 
 不良は糖尿病など気にしないものだ.いきなりタイアップ広告ページが出てきて,そこだけ「毎日ライフ」になっているのも違和感を感じる.これでは,チマチマした不良ではないか.
 
 品のよい不良を目指してもらいたい.品のよい不良といえば,たとえばアルフレッド・ダンヒルのような線かな.とすると,発売日が同じ『エスクァイア』とかを思い出してしまうのだが,はて,日本路線でどこまで平成の紳士達を鼓舞できるか,取り敢えずは注目したい雑誌の登場である.
 

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はなざかり

咲き乱れるサザンカ
 カニシャボが満開を迎えているが,自宅裏の畑との境にあるサザンカも満開である.今年はどこもサザンカがよく咲いている.隣県の中部に住まう親戚のところへ遊びに行ったら,そのお宅のカニシャボもまもなく咲こうとしていた.我が家は鮮やかなピンクだが,こちらは白と薄紅.親戚曰く,今年はやけに花が多いし,サイズもでかい.サザンカの咲き方も異様な感じだ――とのこと.
 
 地震の前兆かもね,と云ったら同行の家人に叱られた.災害の多いこのごろでは冗談にならない.
 
 天皇誕生日の今日,あと一週間ちょっとで今年が終わる.クリスマス・イブ・イブと世間では云っているが,こういう年の瀬の貴重な休日には掃除や年賀状ではなく,ひとりで静かに考え事をする時間にしたいものだ.でなければ親しい人たちと,ゆっくりと話をしてお茶を飲んで…….今日はそんな一日だった.
 
 夕方からは風が冷たくなり,手袋を持ってこなかったことを後悔しつつ家路に着いたのだった.電車の扉が開くたびに,頬を切るような風が車内に吹き込んでくる.ようやく「冬」がやってきたような実感を持てる.
 
 帰宅してみると,我が家のカニシャボはますます咲き乱れていた.葉先に出てきていた小さなつぼみも着実に大きくなりつつある.先日は「しばらく楽しめるだろう」みたいなことを書いたが,何かの前兆現象としてあちこちのシャコバサボテンが咲き乱れているのだとしたら……と考えると,手放しで楽しむ気分にはなれないな.
 
 結局のところ,いまはわからないが,半年後にはその結果がわかっているだろう.ああ,あのときの花はこれを知らせようとしていたんだ,って.
 

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片手打ちの心地好さ

ヨコハマ
 今夜は仕事の後でMJO=マンハッタン・ジャズ・オーケストラのコンサートに行ってきた.久しぶりのビッグ・バンド・ジャズである.デイヴィッド・マシューズも日本語がうまくなって,次の50年では英語をうまく話したい――なんて云っていたが,やはり寄る年波には勝てないのかな.ちょっとヨボヨボっとした感じだった.MJQでやってきていたときよりは,随分と日本語がうまくなっていた.
 
 トランペット4人の行進など,最後はやはり盛り上がったが,こればかりは観た人しかわかるまい.終わって会場を出るときに,二人連れのご婦人が「楽しかったわね」と云っているところは,ああ,ジャズだな,と思った.
 
 家人とは会場で待ち合わせの予定だったが,お互い仕事場から直行なので,携帯電話のメールが役に立った.待ち合わせ場所や時間の最終的な微調整が携帯電話のメールで可能になり,世の中便利になったもんだ,と改めて感心している.
 
 携帯電話は云うに及ばず,PocketPCのような PDAが安くなり,高機能のスケジューラが搭載され,物覚えの悪い当方としては非常に助かるのだが,なんといっても携帯電話のメールの快適さには,PDAも負けてしまうだろう.つまり,テンキーを使った片手入力,これが非常に快適なのだ.
 
 寝転がっても,片手に鞄をぶら下げていても,とにかく私の場合は左手だけで文字入力ができてしまう.片手でカチリと開いて,メモをちょこちょこと打ち込んで,自分宛にメールを送ってしまう.かつてのように手書きメモとパソコンとの間にあった,アナログ⇔デジタルの深淵など一気に飛び越えて,リアルがバーチャルとつながってしまう,それが,あなたの片手にある携帯電話なのだ.
 
 パソコンや PDAは,入力するときに両手を使わねばならない.パソコンでは打ち込む時の場所にも制約される.PDAだって,片手で支えて片手でスタイラスを持たねばならない.携帯メールはそのような制約から解放されている.この身軽さはどうしようもなく快適だ.携帯メールで小説を書いてしまおうか,と思ってしまうほどである.
 
 しかしこの快適さには前提条件がある.そう.パソコンという母艦の存在があってこその,片手入力.せっせと携帯メールを打ったところで,その打ち込んだ文章やメモを整理して有機化するには,やはりパソコンという装置が必要になる.
 
 だったらパソコンに携帯電話のようなデバイスをつないで打ち込めばいいじゃないか,と思うし,実際にそういう冗談のようなデバイスを買って試してみたが,「どうしてフルキーボードが目の前にあるのに,苦労して片手でパソコンに入力しなきゃならないんだ」と,ばかばかしくなった.
 
 パソコンは永遠に不滅?

 

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とうとう冬至

冬の雲
 今日は冬至.100万人のキャンドルナイトだったのをすっかり忘れていた.
 
 夕飯にかぼちゃを食べた.かぼちゃはビタミンAを含み,野菜の減る冬場で保存のできる緑黄色野菜ということで,冬至にかぼちゃ――となったらしい.ウィキペディアによると「かぼちゃ」とはカンボジアのことだそうだ.知らなかった.
 
 そういえばこのところ目が乾いて,モノが見えにくくなる.涙の出かたが悪いのかな.家人は家人でやはり「老眼になったのかな,見えにくい」と云っている.お互いそういう歳になりつつあるが,もしかしたらビタミンAが足りないのかもしれない.ビタミンAが足りないと乾燥性の眼炎になったりするそうだ.ビタミンAの欠乏で有名なところでは夜盲症.動脈硬化にもなりやすくなる.
 
 先日,夜道で空き缶を踏んで転んだが,もしかしたらビタミンAが足りなくて夜目が利かなかったのかもしれない……と疑い始めている.季節外れだが,ウナギでも食べようかな.
 
 人間は目をしょぼしょぼさせているが,寒さを避けて室内に入れた植物達は元気を取り戻したようで,特にカニシャボは満開を迎えつつある.よく見ると葉先には小さなつぼみが新しく出てきていて,しばらくは楽しめそうである.
 
 年賀状の印刷をようやく終わったが,宛名書きはこれから.最近の調査では「約7割の人が電子メールでの “年賀状”に肯定的」だそうで,9割の人がブロードバンドユーザだそうで,そろそろ紙でのご挨拶はやめにしたいという思いを後押ししてくれるような結果である.だが無くならないんだろうなぁ.
 

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やるべことは,たった3つ

冬の青空
 一日誰とも話をせずにコチコチとプログラムを書いていた.ふと目を上げると,窓の向こうは真っ暗で,時計を見るとまだ午後5時前.曇っているのと日が短くなったのとで,夜がやけに長く感じられる.
 
 明日は冬至.
 
 明後日から季節は夏に向かうわけだが,その前に冬という難関が待ち構えている.これをやり過ごさねばならない.毎日コチコチとプログラムを書き,仕様書を作り……とやっていると,いつの間にか春がやってきているのだろう.
 
 人間は先取りをする生き物である.自分の死すら先取りをしてしまう――とは,大学の哲学のテキストにあった言葉だが,実際既に,春夏を先取りしている.しかしまずは足元を固めねばならない.先を見なければならないし,同時につま先にも気をつけねばならない.人間はなんと忙しい生き物か.
 
 師走,年の瀬,来週には納会に御用納め,もしかして義務教育はそろそろ冬休みかな? 忙しい,慌しいというのはわかるが,みなさん,自分自身の認知能力が飽和限界に来ていないか? 電車に乗っている人や駅構内を歩いている人に,おぼつかない足取りの方々が多くなっている.お互いご用心を.
 
 抱えている心配事のほとんどは過去に起きてしまったことか,この先起こるとは思えないことだそうで,これは大学の心理学のテキストにあった言葉.
 
 忙しさにつぶされたら,時間を先取りすることもできなくなる.先ずは朝起きてメモ紙でいいから「今日の最優先事項3つ」を書き出して,それをやっつけたら勝ち! と考えると,この忙しい時期が不思議とのんびりした季節に感じられるよ.
 
 自分の身の回り,結構,くだらなかったりつまらなかったりするものであふれている.リストの3つにおさまらないものは,実は気にするほどのことではない,かも.
 

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懐中電灯を忘れた…

アサガオの種
 アサガオの種を瓶に詰めた.畑の縁にある金網に絡まって咲き乱れていたアサガオの種,それを秋に幾つか失敬して台所の片隅で乾かしていた.カリカリに乾いた実をほぐして,中の黒い種を取り出し,ジャムの小瓶に入れ戸棚にしまった.来年の夏に,ベランダでアサガオが咲き乱れ様を想像すると,自然,顔がにやけてしまう.
 
 きのうに引き続き穏やかな天気.午後遅くになって曇り始めたが,ガラス拭きには構わない.窓ガラスの外側をすべて拭き上げ,外周りの掃除を済ませておいた.これであとは温かい室内の掃除をするだけである.師走の大掃除である.
 
 窓辺の室内側を片付けて,ベランダに出ていた植物たちを取り込んだ.そろそろ本格的に冷えてきそうな気配.週間予報でも来週半ばには最低気温が5度を下回りそうだと云っているし,アボカドなど熱帯の植物にはツラかろう.今年はカニシャボテンが鮮やかなピンクの花をたくさんつけてくれた.いよいよ咲き始めている.カニシャボの花
 
 久しぶりに,駅前の中華料理店で夕食をとり,その帰り道,街灯が間遠になっているところで,路面に落ちていたコーヒーの空き缶を踏みつけ,転んでしまった.転ぶなんて本当に久しぶり.しかも前のめりに,グシャリ……という感じで,見事に.
 
 おかげでズボンの右ひざを破き,怪我をしてしまった.血がとまるまでしばらくかかる深めのスリ傷であった.普段は懐中電灯を持って出るのだが,今日は億劫がって持たなかったのでバチが当たったらしい.
 
 道路に平気で空き缶やゴミを捨てる人間の心理がわからない.たぶん育ちが悪いのだろう――と最近は諦めることにしている.このような諦めが,世の中を住みにくくしてしまうのかもしれないが,もう個人の力ではどうすることもできないのかもしれない,と,ちょっと悲観的である.自衛するしかないのかな.哀しいね.
 

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とろとろと穏やかな土曜日

絵画館前のイチョウ
 平穏な土曜日であった.
 
 朝,ゴミを捨てに行くと,ゴミ捨て場のそばで咲き乱れているサザンカ数本から,ブワッと羽音を立てて,スズメが数十羽飛び立った.体が小さいから小枝の間に入り込めたのだろう.近づくまで全く気配に気づかなかった.花の蜜めあてだったのかもしれない.
 
 ゴミを捨てて戻る途中,畑の向こう側に立っている柿の木から,スズメどもが恨めしそうな目で見ている気がした.柿の木の上のほうに,二つ三つ木守りのように残っている実が青空を背景にして赤く光っていた.スズメは柿が嫌いなんだろうか.
 
 東京23区とはいえ,この辺りは静かで住宅街の中にいきなり小さな畑があったりする.夏の黄昏には畑の上をコオモリが飛び回り,冬から春にはメジロが遊びに来る.毎年のようにウグイスがやってきては谷渡りをやっている.結構贅沢な環境なのかもしれない.
 
 太陽高度が年間で最も低い今頃は,正午過ぎの陽光が部屋の奥まで射し込んでくる.夏場よりも室内が明るく感じられるのだが,それも午後3時まで.低い太陽は早々に家並みの向こう側に隠れてしまい,それとともにしんしんと空気に冷えが戻ってくる.
 
 午後4時を過ぎたら,カーテンを閉じて部屋の中に明かりを灯す.外では子供の声や,自転車に乗った豆腐屋のラッパの音が通り過ぎるが,年の瀬の週末は実に静かだ.
 
 週に一度は,こうやって静かに穏やかに,説教めいたこととは無関係に過ごすのも悪くないね.
 

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身を捨ててこそ浮かぶ年の瀬?

 今朝は寒かった.気温はさして低いようではないが,北風が強かった.通過した低気圧のおかげで西高東低,冬型の気圧配置である.そこで,今日はこの冬二度目の革コートの日となった.
 
 気づくと会社の窓から見える道路の並木も黄色くなっていて,まるでガラス窓の内側が絵葉書のように景色が綺麗になっていた.窓の外を眺めるゆとりもなかったのかな.紅葉したら絵画館前まで散歩にゆこう――なんて家人と云っていたのだが,いつの間にか見ごろは過ぎてしまったようだ.残念.ベランダのカポックも黄色い葉を落とし始めている.
 
 浅草では恒例の羽子板市が立ったと,テレビニュースで報じていた.暦はどんどんと進み,あと2週間で新年を迎える,と云われてもまったく実感がない.やはり,以前にも書いたが,このまま13月になってしまいそうだ.寒くないのもそのように感じる理由のひとつだろうが,何よりも忙しさにかまけて自分の周囲を眺めていない,というのが最大の原因だろう.
 
「年の瀬」という言葉がある.普段は何の疑問もなく使っているが,はて,改めて考えてみると「年の瀬」とは何だろうか.師走や12月や年末とほぼ同義に使われるこの言葉,特に「瀬」の部分が気になる.

」とは,第1義では「川などの流れが浅く歩いて渡れる所」とある.ピンとこない.時間の流れの中で「浅くて歩いて渡れる」のが年末だとしたら「深くて渡れない=年の淵」とは一体いつになるのか…….

 その点,第2義の「川の流れの急な所」は何となくわかる.ホントに,何でこんなに忙しいのか,まったくもって一所懸命に仕事をしていても全然対岸が見えてこない,まるで急流にもまれて流されているような,溺れかけて,しかも,すがれるような藁シベ一本浮いていないような,そんな感覚はまさに「年の瀬」だ.
 
 第3義に「物事に出あうとき。機会」というのがある.実はこれが一番本来の意味なんじゃないかと思ったりする( この辺は検証してないし,いい加減だから受験生は信用しないように ).
 
 実はこういう年末にこそ,色々と本当の姿が見えてくるんじゃないか,と思うのだ.忙しいときこそ周りの人間の本性やら仕事の核心やらが見える.なぜかというと,周りの人間も忙しいから,外見を取り繕っているゆとりがなくなってくるからだ.
 
「年度末だって忙しいじゃないか」という意見もあるだろう.年度末は人が動く時季である.だから外見を取り繕ってしまう季節なのである.が,年末には人事は動かない.単に忙しくなる.仕事も職場も世間も街も,一様に流れが早くなるのだ.多少ハメを外したところで評価には影響の少ない季節なのである.

 加えてお酒が入る時季でもある.ついつい忘年会で本音が出たり,挙句の果てにはなかなかの見物が展開された……とか,実際に聞こえてきている.こういうときこそ冷静に落ち着いて立ち止まり周囲を眺め渡すべきなんだろう.
 
 言葉には色んな意味があるし,様々な意味を引き出せる.これは昔の人がわれわれに向かって残してくれた知恵なんだろうなぁ.
 
 この冬はまったくもって冬らしくないし,年末らしくない.だから,こういう冷めた酔っ払いが結構多いのかも.お気をつけください,そこのおとーさん.
 

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書籍貧乏

 用事があって銀座に出た.いつもは週末にしか来ないので,歩行者天国であるところに車が流れていてヘンな気分.待ち合わせまでに時間があったので,数寄屋橋交差点に面した入口から三越に入った.そして驚いた.
 
 銀座の三越なんて年に数回しか来ないし,それも家人と一緒に7階の生活用品売り場にエレベータで直行するのがほとんどだから,こうやって一人で入ってみると,自然と視線が違ってきたりする.そして改めて気づいた.1階から5階まですべて婦人モノなのである.
 
 どこの百貨店も同じなのだろうか.可哀相に,紳士服と紳士雑貨は一緒くたにされて6階の1フロアに押し込められている.エスカレータ横のアルフレッド・ダンヒルの鞄が意地悪く黒革を光らせていた.
 
 とにかく女性は持ち物や身に着けるものが多い.家人も靴を十数足,鞄だって10個は持っている.そして出かけるときに悩んでいたりする.
 
 三越の中を上下しつつ感嘆するとともに安心していた.男でよかった.
 
 男の身だしなみはシンプルなもので,髪を切り,ヒゲを剃り,あとは定番を押さえておけば十分.落合正勝氏の入門書の通りにやっておけば間違いはない.朝,家を出たときの格好がそのまま世界で通用するのである.色とりどりのスーツなんて要らないし,そもそもそれって十分にヘン.靴だって4足あればいい.これこそ文字通り「足りる」である.
 
 往々にして,ヘタに迷う余地があるとロクなことにならないが,男の服装はその典型かもしれない.型を守って迷うなかれ.迷うんだったら仕事上の重大決定事とか人生最大の岐路だとか,そういうところで大いに迷って悩んでもらいたい.このところくだらないことで人生棒に振っているのが多過ぎるようだ.
 
 冬にしては暖かい路上に出ると,夜風が気持ちよかった.冬至を直前に,たそがれてすっかり夜の帳に包まれた銀座――というわけでもなく,ビルの高さから下は照明で白く輝いている銀座であった.
 
 婦人服の多さにクラクラした頭を冷やすため,教文館書店に向かった.三越の道路を挟んで反対側にある本屋である.靴は4足,鞄はひとつでもなんら不自由はないが,本だけはそういうわけにはゆかない.書棚に並んだ幾千幾万の本は娯楽の殿堂だ.買わなくとも眺めているだけで幸せな気分になる.本ばかりはやめられない.
 
 ……そうか.きっと女性のみなさんはこんな気分で婦人服のフロアに向かうんだな.
 

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ほうじ茶をつくる

 台所でほうじ茶を作った.自分で焙じたお茶は至福の時を与えてくれる.

 ほうじ茶とは番茶を炒ったもの――と云われるが,うちでは普通に飲んでいる普通の煎茶を材料にして,ほうじ茶を自分で作ってしまう.ほうじ茶をわざわざ買ってくることはない.自分で作れば好みの香ばしさを出せるので気に入っている.材料の煎茶は,ほとんどが人からのもらいものなので材料費はタダ同然だ.

 いろいろ試してみたところ,ほうじ茶を作るには玉子焼き器が最も適しているようだ.銀杏を炒る焙烙(ほうろく)や円いフライパンなどではうまく出来ない.焙烙では煙がこもってしまうためか,やけに煙臭いほうじ茶が出来上がってしまったし,円いフライパンでは,緑茶の若さが残って妙に青臭い出来上がりになってしまう.だが,あの長方形の玉子焼き器だと実にうまい具合に炒ることができるのだ.茶葉への熱の入り込みと煙の抜け具合がちょうどいいのだろう,などと勝手に納得している.ちなみに,うちの玉子焼き器はアルミ製.銅製の玉子焼き器だったらどういう仕上がりになるのか,試してみたいところではある.

 最初は茶葉をフルイにかけたりしていたが,いまは大きな葉も茎もカケラもすべて一緒くたに炒っている.小さい葉などは黒くなってしまうが,かまうものか.香ばしい匂いが家中に回り,実に幸せな気持ちになる.炒った茶葉は炒る前よりも膨張するので,初めてやるときには少なめに作るのがコツかもしれない.

 わたしはカフェインの影響を受けやすい体質だ.暗くなってから煎茶など飲もうものなら,寝つきが悪くなって睡眠不足が必至,夜のコーヒーなど言語道断である.けれども,寝る前の静かな時間には何か飲みたくなる.

 そこで,ほうじ茶である.ほうじ茶は熱が加えられる過程でカフェインが「とばされ」てしまうのだそうだ.だから煎茶よりもカフェイン含有量が少ない.安心して飲める.そして,何よりもその香りにほっとする.

 自分で作ってみようという方には,まず一保堂さん辺りのおいしいほうじ茶を一度飲んでみることをおすすめする.飲んでみてその味を憶えておき,あとはひたすら試行錯誤で頑張る.ほうじ茶の作り方はネットで調べれば色々紹介されている.スーパーで売っている安いお茶などが素材としてはおすすめ.

 自分で作ったほうじ茶を魔法瓶に入れて職場に持ってゆく.業務の合間,疲れたときは特に,その香ばしさにほっとする.ぜひ,お試しを.
 

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麻のタオル

 麻のタオルを使っている.硬くて乾くとごわごわで,肌触りが決していいとは云えないのだが,吸水性は抜群だ.乾きも早い.厚手で大きめのものはバスタオルのように使える.髪の毛を簡単に拭きあげることができる.しかし難点がある.

 洗濯の時に細かいケバが出るのだ.

 うっかりワイシャツと一緒に洗ってしまうと大変なことになる.ワイシャツにケバがたくさん付着する.タオルのケバとワイシャツの布の色がほとんど同じなので,見た目はわからない.しかし暗色のジャケットだと襟にケバがついて目立ってしまう.今日はそれをやってしまった.鉄紺のスーツを着て,一番上は革コートというかっこうで出かけた.

 会社に到着してコートを脱ぐと,ワイシャツに付着していたタオルのケバが,スーツの表面にまで付着していたのである.スーツとワイシャツの間にあるベストにも同様に.これは実に恥ずかしい状況.慌ててはたいたりつまんだりして取り除いた.

 それにしても,リネンのケバというのはいつまで出続けるのだろうか.タオルはかなり使い込んで何度も洗っては干し――を繰り返しているので,それなりに柔らかくなりケバだって落ちていると思うのだが,相変わらず同じペースで出続ける.洗濯のときにタオルとワイシャツを別にすればいいのだが,洗う回の都合で一緒になることが半々くらいある.

 一緒に洗ったときはケバがつくので,アイロンがけのときに必ず掃除用の粘着シートなどを使ってケバを取り除くのだ.しかし,今回はそれを忘れてしまった.ケバの出ない麻のタオルはないものだろうか.

 コートを脱いだ下がケバだらけ――というのはみっともなくて困るが,それよりも何よりももっと困るのは,両手に重い荷物を持って地下鉄駅の階段をのぼっているときに,ケバを鼻から吸い込んでしまって鼻の中がカユイやらクシャミが出そうで出なくて涙と鼻水が出て……という状況である.誰か助けて,と云えないし.
 

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仕事のできない仕事場って

 今日は本当に久しぶりに自宅で仕事をした.
 
 普段は「会社」という職場で,電話の呼び出し音や人の話し声,周りを歩き回る足音や気配,突然の飛び込み仕事や問い合わせに緊急対応,挙句の果てには保険の外交員のおねーちゃんなどなど,実にやかましい.
 
 が,今日は体調が悪く大事をとって休み,しかし,寝ているほどではないので,自宅で仕事をしていたのだった.これが実に快適.
 
 平日の会社では仕事ができないから,土日に出てきて仕事する――と云うスタッフもいる.使用機材が会社にしかないから,彼の場合,自宅で仕事ができないのだ.気の毒に.
 
 仕事での伝達・連絡のほとんどはメールで済ませることができるにもかかわらず,どういうわけか,直接話すほうを好む人が多い.うちの職場が特にそうなのかどうかわからないが,ちょっとした報告でも話しかけてくる.これが酷く頭にくる.
 
 それが今日は皆無.家人も仕事で出かけているので,自宅には自分ひとりである.この静けさが集中力を生み,仕事に集中していても疲れない.
 
 会社では夕方になるとグッタリで,もうあとは帰宅することしか考えられないのだが,こうやって一人静かな環境で仕事をすると,黄昏時を迎えても企画のアイディアなどが浮かんでくる.いかに普段の仕事が精神的に磨耗摩滅する摩擦の大きな環境でおこなわれているのか,とハッキリと認識したのだった.
 
 会社と自宅の間の連絡はメールとインスタント・メッセンジャーのふたつだけで十分らしいことも確認できた.あとは,如何にして現場で動いているシステムをメンテナンスフリーに仕上げるか,だけである.サーバにやらせている自動処理だけは個人の家に持ち帰るわけにはゆかない.
 
 職場の人たちがやっているのは筆者と同じ情報ビジネスだから,自動処理の部分さえ解決したら,もしかしたら全員自宅でリモートで仕事ができるかもしれないじゃないか! お気に入りの椅子で,お気に入りの音楽を流して,お気に入りのマグカップでお気に入りのお茶を飲みながら,仕事に集中できる.素晴らしい.
 
 でも,自宅に居場所のない人,こういうの,嫌がるんだよね.
 

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やっぱり登別なのか

 今朝は久しぶりに浴槽にお湯を張って,とっぷりと浸かってみた.普段は忙しさにかまけて冬でもシャワーが圧倒的に多いのだが,そろそろこんな生活ではいかんな――ということで,まずは日曜日の朝風呂である.

 ある会社の入浴剤が好きで時々色気を出して使ってみたりする.滅多に浸かることがないので,1本買っても一冬では使い切れなかったりするが.

 今回は我等一族の故郷である九州・福岡の隣,大分・湯布院の温泉を再現した入浴剤にしてみた.悪くは無い.悪くは無いのだが,なんだか物足りない.規定量通り入れているのだが,なんだか物足りない.なんでかな.

 けど,本当に久しぶりの朝風呂である.実に気持ちの好い時間を過ごせた.日曜日は朝風呂,って,ちょっとした贅沢? ショウスケさんは自己破産したようだが,日曜日の朝ぐらいなら大丈夫だろう.新しく試した入浴剤はどことなく物足りない感じだったが,総括すると満足だ.

 入浴剤にも色々あって,夏場は青く澄んだサッパリ系が「風呂上りの汗をおさえます」なんて能書きで並んでいると,ついつい買ってしまう.そして頭の中ではバリやらなんやら南海のリゾートが展開して,あぁ~,青い空,青い海,そしてプライベートビーチに部屋付きのジャグジ~,なんて,体験したことも無いのに妄想が膨らんでゆく.

 冬は,やはりニゴリ湯系が暖かさを演出してくれる.こちらは熊本や箱根や秩父で経験済みなので,あぁ~,澄み渡る星空,落ち葉炊きの香り,冷たい北風とほかほかの露天風呂……と,はやり行く時間も無いくせに妄想だけが膨らんでゆくのだ.旅行にゆく時間もお金も無いが,入浴剤で少しは贅沢な気分.

 ところで,今回は湯布院の温泉だったが,普段は北海道・登別の温泉を再現した入浴剤が好きで,よく使ってきた.改めてその製造会社がやっているサイトを眺めてみたら “10月のテーマ「たまる疲れに効く温泉」結果発表” なんてページに,湯布院が見当たらないではないか! そしてなんと堂々の1位には登別温泉が…….

 カラダは正直だったのだ.
 

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2004年13月

 暖かい冬は季節感を失わせるが,実は毎日の仕事の方が主な原因だったりする.

 学生時代には学期とか試験とか入試とか,季節季節のアイテムがあったし,毎年同じタイムテーブルでそれらが繰り返し繰り出されていたので四季を意識する機会が多かった.

 しかし仕事柄季節感とは関係の無い毎日を送るようになってしまった.仕事でたずさわっているプロジェクトには季節など無関係で,プロジェクトが始まる~終わるという時間軸は独立して存在している.四半期ごとの会計報告や人事異動も季節感を感じるには弱い.

 ということで,ハロウィン~クリスマス~大晦日~正月と「○○商戦」の季節が通り過ぎようと,こちらはまったく惑わされず坦々と仕事を積み重ねてゆくわけだ.気づくとテレビニュースが「あと10日で冬至ですね」とか云って,ハッと気づく.そうか.大掃除しなきゃ.……なんか哀しいね.あ,年賀状書かなきゃ,って煩しいね.

 今月は「師走」ってやつで,普段はのんびり構えているセンセイ連も走り出す月というわけだが,こちらは年中走り回っているから殊更忙しくなったような気分にはなれない.そしていよいよ納会が近づいて,やれやれ少し休めるか,と思うがそれも単なる「特別休暇」以上の意味は無い.月末で今年が終わって,来月は来年なんだ――という実感がわかない.

 まるで来月はこのまま2004年13月で,そのまま14月とかにつながっているんじゃないか,という皮膚感覚を抱いたまま,困惑した顔で正月を迎えるのだろう.

 そう感じるのは単に歳をとったから,かな.
 

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季節の裏側

 昔からそうなんだが,そのときの季節とは正反対の季節を想ってしまう.

 たとえば今の季節なら,頭の中では夏を懐かしむ.冷たい風が吹き,紅葉が深まり落ち葉が舞い散る,曇った日には雪が降るかも……と思いながら,真夏の,灼熱の太陽とアスファルトの融ける匂いを感じてしまう.

 真夏になると,冬の朝の身を切るような,ガラスのようにシンと静まった大気を思う.

 過ぎ去った季節を懐かしんでいるのか,無いものねだりをしているのか,現状から逃げ出したいのか,はたまた半年先を先取りしたいのか.たぶん,先取りをしているのだろう.いまなら「夏になったらこんなことしたい,あんなことしたい」と考えてしまうから.

 でも,時としてひどく昔の光景が思い出されて,そんな戻れない夏の日のコーラとラジオから流れるプロ野球中継とが懐かしくて仕方がなくなる.真夏の首都高速の渋滞の黄昏時,車にエアコンなんかついていなくて,AMラジオからは神宮球場の野球中継,片手はハンドルに,片手にコーラの缶.むせるような熱気にはアスファルトとエンジンオイルと排ガスが混ざっていて…….

 今朝,地下鉄の駅に向かっている途中,後ろからやってきた自転車に抜かれたときに,そんな真夏の甘い記憶が唐突によみがえった.もう17年も前の記憶だった.

 もしかしたら「次の夏にこんなことしたい」ではなくて「あの夏に戻ってこんなことをしたい」だったのかな.
 

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春を待たずに迎えにゆく

 この冬最初の革コートの日であった.東京は曇って,天気予報では夜から雨,なんて云っていたが,東京電力のレーダーを見る限り,雨は遥か海上を通り過ぎているようだ.

 そろそろベランダのアボカドを入れてやらないといけないのかな.暖冬が予報され,確かにこのところ冬とは思えない暖かさが続いているが,暦は師走なのである.12月である.年末である.そして,学校は期末試験の時季を迎えている.年が明ければ受験シーズン本番.慌しく,追い詰められている気分になりやすい.

 ということと関係があるのかないのかわからないが,今日は地下鉄が人身事故で大幅に遅れてしまって,大変な迷惑をこうむったひとがたくさん出たらしい.先に出て運転ストップに巻き込まれた家人からのメールで事故を知り,私的にはほとんど迷惑をこうむることなく,無事に職場に出たのだが.

 何が苦しい,って,いまが一番苦しいのだ.いつでも最も苦しいのは,いまこの瞬間であり続けるのだ.だからいまこの瞬間から逃げ出したくなってしまっても当たり前なのだ.実は,これは誰もが同じなのである.ただし感じ方が個々人によって違うだけなのだ.

 自分自身が苦しさを感じている.そして逃げ出したいと切望している──ということに気づいているあなたは,死んではいけない.そういう苦しさが世の中にあるということに一生気づかず,周りに迷惑をかけていることも知らないでいる鈍感な人間より,あなたはずっとマシなはずなんだから.

 世界はあなたを必要とするだろう.

 もしこれを嘘だと思うなら,あなたはまだまだ見るべきものを見ていないし,気づくべきことに気づいていないのだ.
 

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ダゴになる

 どうして厄介な仕事はまとまってやってくるのだろうか。会社のサーバに接続されたモデムが不調になったかと思うと、いきなり数台のマシンのリース終了が告げられて、代替機にデータを全部移して自動処理のシステムも移植して、ったら、ハブが死んで部門丸ごとネットが切れて……なんてことで一日が終わってしまった。

 「よりにもよって、こんなときに……」という事態がよく発生することはないかな? もっと以前に云ってくれればいいものを、何を出し惜しみしているのか今頃になって云い出される。それも厄介だという属性以外に関係のないものがまとまって。

 そこで考えた。

 ここはひとつ、他人の想像を絶するような効率性を発揮して、一気に案件を処理してしまうだけでなく、相手に宿題・課題を返してやろうと。素早く打ち返せば相手がうろたえて打ち返すまでに時間がかかるだろうから、その間は一息つける──という企みだ。

 最初はうまくゆくように見えた。確かに「わぁ、仕事早いね~。かなわないなぁ」なんて云われて、ホッとした。しかし、それもつかの間。ここには大きな落とし穴があったんだな。

 この手は、相手が少なくて一定数のときにしか通用しない、ってことを忘れていた。

 一人に素早く打ち返しても、敵側のコートには何人もいるわけ。つまり、シングル対マルチの試合。ボールの数が少なくとも敵さんの人数分はあるわけで、その人数が徐々に増えてゆく……。

 おーい、もう仲間呼ばんでいいからね~。……はやく冬休みにならんかね。
 

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3という数字

 両手が荷物でふさがっていたのですることもなく、帰りの電車で前に立っていた旦那が読んでいた本を、後ろから眺めていたら、仏教では品に上中下と三種類あって、それぞれがやはり上中下に分かれて──なんてことが書いてあった。“上の上”( =上品上生 )から“下の下”( =下品下生 )までの合計9種類で人を分類する体系らしい。大体こういうのは正規分布だろうから、やはり“中の中”( =中品中生 )が一番多いんだろうなぁ、なんてボンヤリ考えていた。

 そのとき両耳のイアフォンから Prophetica の「Trinity」という曲が流れていた。日本語に訳すと「三位一体」。映画「マトリックス」に出てきたお嬢さんの名前でもあるね。

 「tri-」というのは「3の~」という機能がある。トライアングルとかトリコロールとか。日本語でもそうなんだけど、音が似ていると実は語源が近かったりする。「three」もそうなのかな。

 で、思いついたのが「try」。「でも、トライの何が3なんだろうか……」と考えてこじつけたのが

  Try の 3は Plan - Do - See の 3つ

 なるほど。試行錯誤には企んで→実行して→結果を見るという 3つの要素からなる基本的な循環があるなぁ~、と思い至ったのだった。

 しかし古今東西、「3」という数字はどうしてこうもアチコチに登場するのかな。三角形に対角線がないから、とか。
 

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カカトが抜ける

 とうとう靴下の踵が抜けた。朝、家を出たときに変だな、とは思っていたのだが、やはり抜けたか……。

 足の裏によく汗をかく体質なので、踵がヒビやアカギレになったことはないが、とにかく靴の中底と靴下へのダメージが大きくて困る。同じ靴は続けて履かないというのは当然としても、靴下は薄手のものが履けない。

 イタリアで買ったミッソーニの靴下を喜んで履けたのはつかの間、帰宅して見れば見事に両足の踵が抜けていた。1回で廃棄──というのは悔しいので、綺麗に洗って小物入れの袋にしてしまった。外にマウスを持ち歩くときなどで活躍している。

 薄いものや高価な靴下はダメである。もったいなくていけない。薬局の店先にぶら下がっている「4足1000円」でないと、靴下貧乏になってしまう。しかしこれら安価なヤツらは短いのだ。仕方ないけど。

 ズボンの裾からスネが見えるのは嫌いなので、やむなくソックタッチでとめている。靴下止めのノリは女子高生だけのアイテムではないんだよ。ビジネスマンの脛毛は見られたもんじゃないから、ハイソックスを着用しない方はお試しを。

 冬になれば厚手の靴下でもかまわないので、無印良品のスポーツハイソックスなぞが履けるようになる。これはソックタッチがいらないし温かい。何しろ耐久性に優れている。

 もちろん、色は黒か紺。常識だよね。
 

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東京静止空間とは

 そもそもは http://hpcgi2.nifty.com/tafworks/tsd/cgi/read.cgi でコラムを週に1回ずつ書いてゆこう、という目論見だったのだが、なにぶん忙しい、面倒くさい、他との情報のリンクを取るのが煩わしい、という三重苦で頓挫したままになっている自前ブログシステムが元になっている。その能書きに曰く、

「東京静止空間」とは,「ちょっと待てよ.進むばかりじゃなくて,ちっと立ち止まって考えてみろよ」という自戒を意味している.必要なのは思い込む前によく考えること.そしてそのためには自問することなんだろうが,結構これが難しかったりする.考えるために立ち止まる必要があるのだが,場合によっては立ち止まれないことがあったりして,ほんとに難しい.

( http://hpcgi2.nifty.com/tafworks/tsd/cgi/read.cgi?AID=ABOUT )

 というわけ。

 世の中にブログやらRSSやらが加速度をつけて急速に普及しつつある現状が、ようやく自分自身のテンポに合ってきたのかな、なんてショッテルかもしれないが、便利なものができたので使ってみる。果たしてどこまでゆけるやら。

 「静止空間」なんて云ってるが、実のところ、日常生活でスローライフを目指したのもつかの間、日々の仕事に追われて「スローライフって何だっけ」状態になっている。取り敢えずこの世界にはそんな生き方があるんだ、という待避線だけを引き込んでおいて、自身は通勤快速になっている、かも。別にいいけどさ。
 

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さて、はじめるか

 ひともすなるブログといふものを、俺もしてみむとてするなり、というわけではじめてみる。ちょうどNiftyの会員だし、homepage2にサイトを開いているという因縁もあるし、ブログを評価するには自分でやってみるのが一番だろう、というわけ。

 会社では報告書をブログで上げるようになり、RSSリーダを使うと簡単に読み書きできるというのも実感できた。ということで、自前仕事にも絡めて、個人でやってみよう、と。
 

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